在宅診療医 内田賢一 奮闘記

三浦半島の根本である逗子・葉山及び横須賀、神奈川で在宅診療行っています。長らく血管障害を中心として脳外科医として働いてきましたが、自分のキャリア後半戦は自分の大好きな湘南の地の人々が本当に自宅で安心して医療受け過ごせるお手伝いをできたらと考えております。自身の医療への思いや分かりにくい医学の話を分かりやすく科学的根拠に基づき解説して参ります。

認知症は治せるか~認知症治療の羅針盤15~後部皮質萎縮症(PCA)とは? 「もの忘れより、物が見えにくい」が特徴の若年発症認知症

後部皮質萎縮症(PCA)とは?
「もの忘れより、物が見えにくい」が特徴の若年発症認知症

「漢字が書けなくなった」「車が対向車線に寄ってしまう」「鍵を鍵穴に入れられない」——記憶は比較的保たれているのに、見え方や空間認識に問題が出る「後部皮質萎縮症(PCA)」について解説します。

 
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「最近、字が書きにくくなった」「車の運転で車線がわからなくなった」「目の前にある物に手が届かない」——こうした症状でいくつもの病院を受診したが、眼科では異常なし、と言われてしまうケースがあります。これは後部皮質萎縮症(PCA:Posterior Cortical Atrophy)という、脳の後ろ側(視覚・空間認知を担う領域)が萎縮することで起こる、非典型的な変性疾患かもしれません。さくら在宅クリニックでは、PCAを含む非典型認知症の在宅支援にも対応しています。

後部皮質萎縮症(PCA)とはどんな病気か

PCAは、大脳後方領域(後頭葉・頭頂葉・側頭葉後方)の萎縮と進行性の機能低下を示す変性疾患です。最大の特徴は、初期には記憶と言語機能が比較的保たれる一方で、視覚処理などの認知機能低下が前景に立つことです。

発症年齢

発症のピークは50歳代半ばと若く、典型的なアルツハイマー病より早い。若年性ADの少なくとも12%を占めるとされる。

背景病理

剖検ではAD(アルツハイマー病)が約70%と最多。そのほかCBD・DLB(レビー小体型認知症)・プリオン病なども原因となりうる。

進行速度

平均生存期間は10.3年。萎縮はADに比べて速く進行する。経過とともに失語・失算・相貌失認なども加わってくる。

合併症

約40%にうつを伴う。若年発症であることから、就労継続困難・社会的孤立になりやすい。

 PCAが見過ごされやすい理由

若年発症であり「健忘以外の症状」に対する認識が一般的に低いため、PCAは過小認識されている可能性があります。見え方に関する症状が強いため、患者さんは眼科受診・眼鏡作成を繰り返します。「視覚の歪み」「相貌失認」を含む視知覚障害から、身体表現性障害や心因性視力障害と誤診され、診断が遅れることもあります。

PCAの特徴的な症状——「見えにくさ」から始まる認知症

大脳後方領域では視覚情報処理が行われています。腹側路(What系:対象認知)と背側路(Where系:空間認知・視覚-運動連携)の両方が障害されることで、さまざまな「見え方の障害」が生じます。

 PCAで起こる「見え方・空間認知」の具体的な症状(約70%に出現)

目の前にあるのに気づかない・つかめない
対象物との距離が判断できない・物にぶつかる
鍵を鍵穴にさせない
自動車運転中に直進できず車線にはみ出す
書字や読字で改行するとわからなくなる・線からずれる
靴の左右や服の前後がわからない(着衣の困難)
フォークでこぼしたものの位置がわからない
複数の点を同時に数えることが難しい(同時失認)
重なった絵の中から図形を識別できない(錯綜図)
時計の飾り文字が読めない(失読)
知っている顔が識別できない(相貌失認)
自分の描いた絵の中に同じものを重ねて描いてしまう

 Gerstmann症候群とBalint症候群

PCA患者の多くはこの2つの症候群の要素を合わせ持っています。

Gerstmann症候群

視空間認知障害・失算(計算できない)・失書(書けない)・左右失認(左右がわからない)・手指失認(自分の指がわからない)の組み合わせ。初期から計算障害が目立つ。

Balint症候群

精神性注視麻痺(見たいものに視線を向けられない)・視覚性運動失調(見て手を動かすことができない)・同時失認(一度に複数の物を認識できない)の組み合わせ。

典型的なアルツハイマー病(AD)との違い

PCAの背景病理の約70%はADですが、臨床像はいわゆる「もの忘れ型」ADとは大きく異なります。

比較項目 後部皮質萎縮症(PCA) 典型的アルツハイマー病
発症年齢 50歳代(若年発症) 70歳代以降が多い
初期の主症状 視空間認知障害・計算障害・失読失書 エピソード記憶障害(もの忘れ)
記憶 初期は比較的保たれる 初期から著明な低下
言語・遂行機能 初期は比較的保たれる 早期から低下することが多い
MRI所見 後頭葉・頭頂葉の萎縮が優位 海馬・内側側頭葉の萎縮が優位
SPECT/PET 後頭〜頭頂葉の血流・代謝低下 頭頂葉・後帯状回の代謝低下
進行速度 ADより萎縮の進行が速い 比較的緩徐
眼科的異常 眼自体には異常なし(脳の問題) 通常なし

PCAの診断——どのように確認するか

2017年のCrutchらの診断基準では、3段階の分類枠組みが提唱されています。

 PCA診断基準(Crutch 2017)の概要

Level 1(臨床診断)
神経変性疾患であり、空間認知障害・同時失認・物体認知障害など大脳後方領域の障害を示す認知的特徴を3つ以上もち、脳画像で後方優位の障害を確認する。相対的に記憶・言語機能・遂行機能・行動/人格は保たれる。
PCA-pure(他の変性疾患の基準を満たさない)またはPCA-plus(ADやDLBなど他疾患の基準も満たす)に分類。
Level 2(背景疾患の分類)
Level 1を満たした上で、他の神経変性症候群の診断基準に合致するかを検討。合致すればPCA-plus、満たさなければPCA-pure。
Level 3(バイオマーカー・病理)
バイオマーカー(アミロイドPET・CSF)や病理所見を利用した確定診断。

 診断に用いる神経心理学的検査

  • 標準高次視知覚検査(VPTA):図形の模写・異同弁別・相貌認知など
  • フロスティッグ視知覚発達検査(DTVP):視知覚機能の詳細評価
  • 時計描画テスト・立方体模写:初期にはできても経過で悪化
  • 錯綜図:地と図の区別がつかず重なった絵を認識できない
  • tapping span・Digit span:視覚性作業記憶の低下
  • MIBG心筋シンチグラフィー・DATスキャン:正常(DLBとの鑑別)

在宅での安全管理と環境整備——「見えにくさ」に対応した住環境

PCAでは視覚処理過程の障害が前景に立つため、目印のコーンが置いてあってもコーンや穴が見えない、電車とホームの端とのすき間や階段を見誤り転落するなど、在宅・外出での安全リスクが高くなります。

 室内環境の整備
  • 危険な家具を置かない・物を少なくシンプルに
  • 物の位置を頻繁に変えず定位置に置く
  • 鏡や透明な素材(ガラステーブルなど)は把握困難なため置かない
  • 階段のマーキング(色をつけて段差を目立たせる)
  • 浴室の滑り止めマット設置
  • 反射物・透明素材の把握が難しいため撤去を検討
🚶外出時の安全対策
  • 慣れた経路のみ利用する(新しい経路は迷子になりやすい)
  • 同行者に手をつないで注意を促してもらう
  • 自動車運転は中止を指導する(早期に対応が必要)
  • 公共交通機関のホームでは同行者と必ず歩く
  • GPS端末・見守りサービスの活用
 食事・日常生活の工夫
  • 食器は無地・シンプルなものに(模様が混乱を招く)
  • こぼしものの位置がわかりにくいため、テーブルクロスは単色に
  • 着衣の介助:前後・左右を事前にセットする
  • 洗面・歯みがきの動作を一緒に行う
就労・社会参加
  • 若年発症のため就労継続困難になる場合が多い
  • 障害者総合支援法に基づく就労支援サービスの活用
  • 精神保健福祉手帳の取得(医師が診断書作成)
  • 高次脳機能障害支援センター・若年性認知症支援センターとの連携

 薬物療法

ADの治療薬であるコリンエステラーゼ阻害薬の効果は限定的で、非薬物療法の効果も確定的なことはいわれていません。視覚処理の適応訓練・環境調整・心理的サポートを中心とした支援が主となります。うつの合併(約40%)には抗うつ薬が検討されます。

🌸 さくら在宅クリニックでできること

  • 訪問診療での定期的な視空間認知・認知機能評価
  • 精神保健福祉手帳・若年性認知症支援への医療証明・紹介
  • 訪問作業療法士(OT)との連携による在宅環境整備と動作訓練
  • うつ症状へのフォローアップと薬物療法の調整
  • 自動車運転中止の判断支援と家族への説明
  • 介護保険サービス(訪問介護・デイサービス)の活用支援

ご家族へ——「記憶は大丈夫なのに…」という戸惑いに

PCAでは初期に記憶がある程度保たれているため、「本人がわかってやっていない」「努力が足りない」と誤解されることがあります。

  • 「見えていない」のは脳の問題です:目は正常でも、脳の視覚処理領域が障害されているため「見えない」のです。叱責しても改善しません。本人も戸惑っていることを理解してください。
  • 生活環境をシンプルにしてあげる:物を整理・収納し、物の位置を変えない。透明なものや鏡は混乱を招くことがあります。
  • 自動車運転は早期に中止を:車線逸脱・事故リスクが非常に高くなります。ご家族から早めに医師へご相談ください。
  • 若年発症ならではの社会的支援を:就労・経済的な問題も生じます。若年性認知症支援センターや社会福祉士へのつなぎを活用してください。
  • うつへの注意:約40%にうつを伴います。気力がなくなった・ふさぎ込む・泣いていることが増えたときは医師にご相談を。

🌸 後部皮質萎縮症(PCA)のポイント まとめ

  • PCAは大脳後方の皮質の萎縮により視空間認知障害を呈する変性疾患——背景病理はADが約70%
  • 発症ピークは50歳代と若く、健忘は目立たず「物の見えにくさ・扱いにくさ」を訴えることが多い
  • 眼科に何度行っても異常なし——脳の後方領域の問題と気づくことが診断の鍵
  • Balint症候群・Gerstmann症候群の要素を多くの患者が合わせ持つ。初期から計算障害が目立つ
  • MRI:後頭〜頭頂葉の萎縮、SPECT:後頭頭頂葉の血流低下が診断の参考に
  • 在宅環境は「シンプルに・物の位置を変えない・反射物を除去」が基本
  • 自動車運転は早期に中止。若年発症のため就労支援・社会的支援が重要

🌸 「見えにくさ・書きにくさ」でお困りのことがあれば
さくら在宅クリニックにご相談ください

逗子市・葉山町・鎌倉市を中心に、後部皮質萎縮症を含む非典型認知症の在宅医療・環境整備支援を行っています。若年発症で職場・家庭に影響が出ている方もお気軽にご相談ください。

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