「最近、字が書きにくくなった」「車の運転で車線がわからなくなった」「目の前にある物に手が届かない」——こうした症状でいくつもの病院を受診したが、眼科では異常なし、と言われてしまうケースがあります。これは後部皮質萎縮症(PCA:Posterior Cortical Atrophy)という、脳の後ろ側(視覚・空間認知を担う領域)が萎縮することで起こる、非典型的な変性疾患かもしれません。さくら在宅クリニックでは、PCAを含む非典型認知症の在宅支援にも対応しています。
後部皮質萎縮症(PCA)とはどんな病気か
PCAは、大脳後方領域(後頭葉・頭頂葉・側頭葉後方)の萎縮と進行性の機能低下を示す変性疾患です。最大の特徴は、初期には記憶と言語機能が比較的保たれる一方で、視覚処理などの認知機能低下が前景に立つことです。
発症年齢
発症のピークは50歳代半ばと若く、典型的なアルツハイマー病より早い。若年性ADの少なくとも12%を占めるとされる。
背景病理
剖検ではAD(アルツハイマー病)が約70%と最多。そのほかCBD・DLB(レビー小体型認知症)・プリオン病なども原因となりうる。
進行速度
平均生存期間は10.3年。萎縮はADに比べて速く進行する。経過とともに失語・失算・相貌失認なども加わってくる。
合併症
約40%にうつを伴う。若年発症であることから、就労継続困難・社会的孤立になりやすい。
PCAが見過ごされやすい理由
若年発症であり「健忘以外の症状」に対する認識が一般的に低いため、PCAは過小認識されている可能性があります。見え方に関する症状が強いため、患者さんは眼科受診・眼鏡作成を繰り返します。「視覚の歪み」「相貌失認」を含む視知覚障害から、身体表現性障害や心因性視力障害と誤診され、診断が遅れることもあります。
PCAの特徴的な症状——「見えにくさ」から始まる認知症
大脳後方領域では視覚情報処理が行われています。腹側路(What系:対象認知)と背側路(Where系:空間認知・視覚-運動連携)の両方が障害されることで、さまざまな「見え方の障害」が生じます。
PCAで起こる「見え方・空間認知」の具体的な症状(約70%に出現)
Gerstmann症候群とBalint症候群
PCA患者の多くはこの2つの症候群の要素を合わせ持っています。
Gerstmann症候群
視空間認知障害・失算(計算できない)・失書(書けない)・左右失認(左右がわからない)・手指失認(自分の指がわからない)の組み合わせ。初期から計算障害が目立つ。
Balint症候群
精神性注視麻痺(見たいものに視線を向けられない)・視覚性運動失調(見て手を動かすことができない)・同時失認(一度に複数の物を認識できない)の組み合わせ。
典型的なアルツハイマー病(AD)との違い
PCAの背景病理の約70%はADですが、臨床像はいわゆる「もの忘れ型」ADとは大きく異なります。
| 比較項目 | 後部皮質萎縮症(PCA) | 典型的アルツハイマー病 |
|---|---|---|
| 発症年齢 | 50歳代(若年発症) | 70歳代以降が多い |
| 初期の主症状 | 視空間認知障害・計算障害・失読失書 | エピソード記憶障害(もの忘れ) |
| 記憶 | 初期は比較的保たれる | 初期から著明な低下 |
| 言語・遂行機能 | 初期は比較的保たれる | 早期から低下することが多い |
| MRI所見 | 後頭葉・頭頂葉の萎縮が優位 | 海馬・内側側頭葉の萎縮が優位 |
| SPECT/PET | 後頭〜頭頂葉の血流・代謝低下 | 頭頂葉・後帯状回の代謝低下 |
| 進行速度 | ADより萎縮の進行が速い | 比較的緩徐 |
| 眼科的異常 | 眼自体には異常なし(脳の問題) | 通常なし |
PCAの診断——どのように確認するか
2017年のCrutchらの診断基準では、3段階の分類枠組みが提唱されています。
PCA診断基準(Crutch 2017)の概要
PCA-pure(他の変性疾患の基準を満たさない)またはPCA-plus(ADやDLBなど他疾患の基準も満たす)に分類。
診断に用いる神経心理学的検査
- 標準高次視知覚検査(VPTA):図形の模写・異同弁別・相貌認知など
- フロスティッグ視知覚発達検査(DTVP):視知覚機能の詳細評価
- 時計描画テスト・立方体模写:初期にはできても経過で悪化
- 錯綜図:地と図の区別がつかず重なった絵を認識できない
- tapping span・Digit span:視覚性作業記憶の低下
- MIBG心筋シンチグラフィー・DATスキャン:正常(DLBとの鑑別)
在宅での安全管理と環境整備——「見えにくさ」に対応した住環境
PCAでは視覚処理過程の障害が前景に立つため、目印のコーンが置いてあってもコーンや穴が見えない、電車とホームの端とのすき間や階段を見誤り転落するなど、在宅・外出での安全リスクが高くなります。
室内環境の整備
- 危険な家具を置かない・物を少なくシンプルに
- 物の位置を頻繁に変えず定位置に置く
- 鏡や透明な素材(ガラステーブルなど)は把握困難なため置かない
- 階段のマーキング(色をつけて段差を目立たせる)
- 浴室の滑り止めマット設置
- 反射物・透明素材の把握が難しいため撤去を検討
🚶外出時の安全対策
- 慣れた経路のみ利用する(新しい経路は迷子になりやすい)
- 同行者に手をつないで注意を促してもらう
- 自動車運転は中止を指導する(早期に対応が必要)
- 公共交通機関のホームでは同行者と必ず歩く
- GPS端末・見守りサービスの活用
食事・日常生活の工夫
- 食器は無地・シンプルなものに(模様が混乱を招く)
- こぼしものの位置がわかりにくいため、テーブルクロスは単色に
- 着衣の介助:前後・左右を事前にセットする
- 洗面・歯みがきの動作を一緒に行う
就労・社会参加
- 若年発症のため就労継続困難になる場合が多い
- 障害者総合支援法に基づく就労支援サービスの活用
- 精神保健福祉手帳の取得(医師が診断書作成)
- 高次脳機能障害支援センター・若年性認知症支援センターとの連携
薬物療法
ADの治療薬であるコリンエステラーゼ阻害薬の効果は限定的で、非薬物療法の効果も確定的なことはいわれていません。視覚処理の適応訓練・環境調整・心理的サポートを中心とした支援が主となります。うつの合併(約40%)には抗うつ薬が検討されます。
🌸 さくら在宅クリニックでできること
- 訪問診療での定期的な視空間認知・認知機能評価
- 精神保健福祉手帳・若年性認知症支援への医療証明・紹介
- 訪問作業療法士(OT)との連携による在宅環境整備と動作訓練
- うつ症状へのフォローアップと薬物療法の調整
- 自動車運転中止の判断支援と家族への説明
- 介護保険サービス(訪問介護・デイサービス)の活用支援
ご家族へ——「記憶は大丈夫なのに…」という戸惑いに
PCAでは初期に記憶がある程度保たれているため、「本人がわかってやっていない」「努力が足りない」と誤解されることがあります。
- 「見えていない」のは脳の問題です:目は正常でも、脳の視覚処理領域が障害されているため「見えない」のです。叱責しても改善しません。本人も戸惑っていることを理解してください。
- 生活環境をシンプルにしてあげる:物を整理・収納し、物の位置を変えない。透明なものや鏡は混乱を招くことがあります。
- 自動車運転は早期に中止を:車線逸脱・事故リスクが非常に高くなります。ご家族から早めに医師へご相談ください。
- 若年発症ならではの社会的支援を:就労・経済的な問題も生じます。若年性認知症支援センターや社会福祉士へのつなぎを活用してください。
- うつへの注意:約40%にうつを伴います。気力がなくなった・ふさぎ込む・泣いていることが増えたときは医師にご相談を。
🌸 「見えにくさ・書きにくさ」でお困りのことがあれば
さくら在宅クリニックにご相談ください
逗子市・葉山町・鎌倉市を中心に、後部皮質萎縮症を含む非典型認知症の在宅医療・環境整備支援を行っています。若年発症で職場・家庭に影響が出ている方もお気軽にご相談ください。
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