在宅診療医 内田賢一 奮闘記

三浦半島の根本である逗子・葉山及び横須賀、神奈川で在宅診療行っています。長らく血管障害を中心として脳外科医として働いてきましたが、自分のキャリア後半戦は自分の大好きな湘南の地の人々が本当に自宅で安心して医療受け過ごせるお手伝いをできたらと考えております。自身の医療への思いや分かりにくい医学の話を分かりやすく科学的根拠に基づき解説して参ります。

桜に導かれて──「人生の最期」を考えるきっかけと、在宅医療という選択肢

私が今の家を購入するきっかけは、一本の桜の木でした。

「桜山」という地名が示す通り、まさに桜の季節。現在の家を初めて内覧に訪れた日、少し坂を上ると、そこはまるで桜のトンネル。桜吹雪が視界を覆い、ワイパーで花びらをかき分けて進むほどの“桜の歓迎”を受けたのです。

そして、家のデッキからも立派な桜が見える──。
その景色を見た瞬間、ふとこう思いました。

「いつか自分の最期を迎えるなら、こんな桜を眺めながら、静かに人生の幕を下ろせたら」

そう思い、家族を説得し、その日のうちに手付金を支払いました。

東京育ちの妻はというと、最初の頃は虫を見るたびに悲鳴を上げていましたが、今ではカブトムシを素手で掴めるまでに“順応”し、日々たくましくなっています(笑)。


「入院=安心」? でも、その安心と引き換えにするものとは

少し前置きが長くなりましたが、桜の中で「最期の迎え方」を思ったあの日から、私は「入院」という選択についても考えるようになりました。

「入院させたほうが安心」
そのお気持ちは、よく分かります。医療体制は整っていますし、なにかあってもすぐに対応してもらえる。家族も介護の負担から一時的に解放され、精密検査や高度な治療が受けられるかもしれない──確かに、メリットはたくさんあります。

けれども、その「安心」は、本人の“幸せ”と引き換えになっていることもあるのです。

特に高齢者にとって、急な環境の変化は心身に大きな負担をかけます。
入院をきっかけに「せん妄(意識の混乱)」を引き起こし、結果として身体拘束や安静が必要になり、急速に寝たきりになってしまうケースも少なくありません。

たとえリハビリが処方されていても、病院では1日わずか20分程度。
それ以外の時間はベッド上で過ごし、看護師さんに頼る生活により活動量が減少──このままでは、体力も気力も削がれていきます。


人生の最期に「自由」があるということ

そしてもうひとつ、入院には“自由が失われる”という側面もあります。

味気ない病院食、決められた消灯時間、そしてタバコもお酒も禁止。
もし、人生の残り時間がわかっていたとしたら──
「少し濃い味でも」「ほんの一杯のお酒でも」楽しめた方が、その人らしい人生の終わり方ではないでしょうか。

人生の最期に、晩酌すら許されない環境。
それは一体、何と引き換えにしているのでしょうか?


在宅医療という“もうひとつの選択肢”

そんな中で、もう一つの選択肢として私が大切にしているのが「在宅医療」です。

住み慣れた場所で、自分のリズムで過ごしながら医療を受ける。
環境が変わらないことで、せん妄のリスクも少なく、起きる時間も、食べるものも、タバコやお酒だって楽しめます(もちろん医師と相談のうえで)。

大掛かりな検査や治療は難しいかもしれませんが、レントゲン、エコ―、内視鏡、血液検査や尿検査、点滴や酸素療法など、基本的な医療は在宅でも十分可能です。


「なにかあったらすぐ入院」ではなく、「その人らしさ」を守る医療を

医療の選択肢は、病院だけではありません。
「なにかあったら入院」ではなく、「どうありたいか」を考える医療が、もっと広まってほしい──そう願っています。

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